伊賀焼の歴史は実に古く天平年間(西暦七二九〜七四九)に伊勢神宮の神瓶を作るため、丸柱寺谷(現、三重県阿山郡阿山町丸柱)の地に窯を興したのが創りと記録にあります。
その後、戦国期から織豊時代にかけ茶道文化が勃興するに至って伊賀焼は茶陶として全国的に評価されるようになりました。
天正年代の伊賀の領主、筒井定次は大いに之を奨励し、続く領主藤堂氏も藤堂伊賀の優品を世に出し、古田織部、小堀遠州等の茶人の指導も得て伊賀焼は茶陶としての地位を確立し現在に至っております。
伊賀焼は、別名七度焼とも云われる様に土を高温で幾度も焼成し、その土の成分が融け出た所に松の灰がかかり土の変化の何とも云えない雅味、素朴さがその形の豪快さとも相まって,茶人風流人の心をとらえたのであります。
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